お侍様 小劇場

    “技ありっ?” (お侍 番外編 16)
 


 花見の季節が終盤を迎えるのと入れ替わるかのように、ここ何日か、妙に雨催いの日が続いた。何でも、勢いのある低気圧が襲来し、それが向かう先に居据わってた高気圧に押し止められての長居をしたらしく。台風並みの威力をした風雨にさらされた地域もあったそうで、冬場の“爆弾低気圧”といい、これもまた地球温暖化の影響、日本が亜熱帯化している余波なのだろか。

 “そういう難しいことは判りませんが。”

 やっとの久々に朝からすっきりと晴れ渡った日曜日。拳をぐうに握りしめ、雄々しくも“よっしゃ〜っ”と雄叫び上げたかどうかまでは定かじゃあないものの、島田さんチのおっ母様、腕まくりをしてお洗濯に取り掛かったのは言うまでもなく。干し場には困らないお宅なので、普段どおりのお洗濯に滞りがあったわけではないものの、こうまでの晴れ間が久し振り過ぎたその反動、あれもこれもと洗えるものは根こそぎ洗ってしまわねば勿体ないような気がするから…主婦心理って不思議。
(苦笑)

 「久蔵殿、トレパンとか洗い物はありませんか?
  シーツや布団カバーも剥がして出してくださいな。」
 「…。(頷)」

 言われずとも小まめに出す子へ、言う前からほぼ毎日洗ったばかりのシーツを掛け直してるおっ母様が声を掛け。双方の事情というか背景というかをよくよく知っている父上が、リビングのソファーでそんな様子を耳にされ、読んでいた新聞の陰で…堪らずにくつくつと笑っておいでという、何ともほのぼのしたご一家の朝であり。

 「そろそろ出るぞ。」
 「あ、はい。」

 幹部社員専任の秘書室には日曜も祭日もなく、今日も今日とて勘兵衛様は通常出勤。政府筋の大臣だか官僚だかを招いたセレモニーに、何人か出席する予定の役員らの連絡網の橋頭堡。いざという時のためのネットワークを立ち上げ、機転を利かせる役回りをこなすには、主幹となるサーバーの傍らに居た方が、効率もいいし事故にも遭うまいとの配慮であり、

 『どんなに技術が進んでも、計算速度では電気信号や光には敵わなくとも、
  人の機転や融通に勝るものはないからな。』

 それと…駆け引きの妙や老獪さもでしょうと、言い足して差し上げたら。そんな生意気な口はこうしてくれると、ベッドに押し倒されての やや強引に塞がれたのはいつだったか。

 「〜〜〜。///////
 「???」

 急に頬を赤くした母上に、次男坊がきょとんとし。そんな二人に見送られ、小意気なスーツ姿の父上が元気に出勤していったのが八時過ぎ。

 「そぉれっと♪」

 お庭に元からあった竿だけでは足らず、急遽洗濯ロープを何本か張り足してのお洗濯は、どこぞかの洗剤のCMよろしく、タオルやシーツをはためかせる満艦飾をお庭に広げてやっとの終了。盆栽棚まではありませぬが、それでもあれこれ植えての庭いじりをしておいでなので、花壇に植え替えたばかりのパンジーを踏まぬよう、ツルが伸びて来たサヤインゲンを絡ませぬよう、お休みだった次男坊と二人掛かりでの悪戦苦闘は、何とか一段落というところか。

 「さあさ、お茶にしましょうかね。」
 「…♪」

 リビングの手前、庇があるポーチには、ウッドデッキというより濡れ縁みたいな短い腰掛けがあり、そこからひょいと上がってった七郎次。いつの間に用意しておいたものか、冷まし置きの烏龍茶とあっさり甘い上生和菓子の“練りきり”とをキッチンから運んで来る。ささどうぞと薦める白い手には、銀の光がちかりと煌き、このごろやっと意識しなくなった指輪がさりげなくも映えて美しい。

 「学校ではそろそろGWのお話とかしないのですか?」
 「…?」
 「どこかへ皆で遊びに行くとか。
  そうそう、部活の合宿とか交流試合の予定とか。」
 「…。(えっと…)」

 寡黙で無口で、七郎次いわく“少しほどうっかりさん”なところもあって。いきなり“明日から合宿”なんて言い出すことが何度かあったので。本人にしてみれば…大袈裟な支度なんて要らないからと言わなかったまでかもしれないが、この、頭の先からつま先まで世話好きな血が流れて止まらぬおっ母様が、それもそうですねで済ますはずがない。大慌てで、着替えにタオルに身の回り品に、急な発熱や腹痛用の常備薬から手回し充電のハンドライトと携帯電話のバッテリーまで。どこの避難袋ですかという完璧すぎる荷造りをしてくださったことが、先の1年の間に一体何度あったことか。

 「…。(否)」

 GWにはそういう予定はないらしく、ふりふりとかぶりを振った久蔵だったのへ、くすすとやんわり微笑ったおっ母様。

 「そうそう、先だってお電話くださった新入生はどうしてられますか?」

 部の連絡網のテストででもあったのか、自宅の固定電話にかかって来たのへ出た七郎次に、しどろもどろになっていた可愛らしいお声の男の子。岡本何とかくんとか言ってましたっけねと水を向ければ、

 「〜〜〜。」

 おやおや、珍しくも少々困ったようなお顔になった久蔵で。というのが、今年の新入部員の中に、
『昨年の全国大会の、島田先輩の活躍に一目惚れしましたっ』
と公言してはばからない、何とも豪気な子がいるのだそうで。あんまり人への関心を持たないこの彼へ、この若さに似ない、近寄り難いまでの冷然とした佇まいをも物ともせず。…というか空気を読むのが下手な子なのか、随分と押せ押せでついて回っているものだから。この、そこが島田家の血統のあらわれ、とことん鷹揚でマイペースな次男坊が、珍しくも無視しきれずの辟易している様子であるのだとか。

 「〜〜〜。」
 「はいはい。彼のお話、お家ではナシですね。」

 じゃあ、連休はどこかへ遊びに行きましょうかねぇ。勘兵衛様は予定を空けるのが難しいかも知れませんから、二人でドライブにでも。ほら、去年出掛けた房総のお花畑はそりゃあきれいだったじゃありませんかと、楽しいお話で盛り上げて差し上げれば、

 「…。///////(頷)」

 たちまち目許を瞬かせ、かあいらしくも喜ぶ現金さが、おっ母様には何より愛おしい。花寒の時期から緑風のころへの端境。やわらかな青葉が出始めている葉桜が、はたはたと風になぶられているのを、お茶を飲みつつ何とはなく眺めやってた、金の髪も真白いお肌もお揃いの、麗しい母子であったのだけれど。

  ―― かっしゃーんっ、と

 どこかで何か、ガラスだか陶器だかが砕けたような音がして。おや、こんな静かな日曜に、ちょっぴり慌ててのお粗相なさったお人でもいたのかなと。顔を見合わせたその反射は同時だったものの、やはり同じくさしたる大事でもなかろうと把握解釈していたものが、

 「ゴロさぁんっっ!」

 聞き慣れたお声での悲鳴を聞いて、再び…ハッとしてお顔を見合わせる。今の声って…

 「ヘイさんっ!?」
 「…っ。」

 同時に立ち上がり、表へ回らず境目の錦木の茂みへ一直線したのもそっくり同じ行動で。きっと同じことを思った島田さんチのお二人さん。がさがさ・ひらりと身軽な身ごなし、腰より高い茂みを、器用にも片手を掛けての飛び越えられたは、武道に心得があった人たちだったから。お庭が接しているお隣りさん、しゃれた外観の車輛工房のエンジニアさんの悲鳴に反応し、弾かれたように立ち上がっての駆け出した二人であり、

 「ヘイさんっ!」

 調理器具搭載のバンやボックスカー。ちょっとした講習会が開けるような内装のマイクロバスなどなど、特注の車両改造を手掛ける凄腕のエンジニアである平八と、この工房の家主である五郎兵衛の二人が住まうモダンな家屋は、庭に向いたリビングがガラス張りの作りになっており。今の時期なら柔らかな陽が差し込んで、それは明るく過ごしやすい一角のはずが。

 「…っ!」

 窓に背を向けて置かれたソファーの足元へ屈み込み、必死の形相で真っ青になっている平八なのが見えた。一枚ガラスの大窓は、だが、強度のある代物で、目の前のリビングへ、なのに真っ直ぐ入れないことを思い出す。
「…くっ。」
 もどかしい想いのまま、玄関へと回りかかった七郎次の二の腕を掴んだのが久蔵で、何だと訊くまでもなく出された答えが、

 「…っっ!」

 彼が逆手に握っていた、鋼の重たそうなバール。金テコともいう工具で、平たく言うならデカくて重たい釘抜きのことで。それを振り上げ、クギを引っこ抜くための尖りをそのまま、それを握った手や腕さえ消えて見えたほどの、疾風のような素早さで、迷いも惑いもない鋭さで一気に叩きつけたから。

  ―― ガッシャーンという、凄まじい破壊音もけたたましく

 樹脂シートを挟み込んだというタイプのものではなかったこともあり、それでも…これほどの奇跡はない威力にて、分厚く堅いガラスが粉々に砕けて割れた。どんな強化ガラスでも、実を言えば…小さな小さな一点への、コツを心得た鋭い一撃には脆い。世界最強の強度を持つダイヤも、瞬間的な衝撃には脆いとか。それを実際にやって見せてくださったその向こう。わっと驚きながらも、その小さな身で大事な人へと覆いかぶさり、咄嗟に破片が当たるのを防いだお人の姿が、今度こそ手の届く間近になって。

 「…シチさん? 久蔵さん?」

 惚けたようにお顔を上げた彼の心中、痛いくらいに判るけど、今はそれどころではないはずで。
「ガラスは後で弁償しますよ。それより、ゴロさんがどうかしたんですか?」
 靴のままで来たのを幸い、ガラスを踏んでも平気なようにと、そのまま踏み込んだ七郎次へ、
「…っ!」
 あっと我に返って自分の真下を見下ろす彼で。そこには…いきなりのしかかられたことにも果たして気づけたかどうか。銀髪の大柄な偉丈夫さんが、日頃のおおらかで朗らかな様子が微塵もないほど、それは苦しげにお顔を顰めてうずくまっておいで。身を縮めての堪えようからして、これは激しい腹痛かと思われて、
「昨日お得意さんから届いたタケノコを、朝から煮てたんですよ。」
 おろおろしつつも語り始めた平八が、床に巻き散らかされたガラス片の陰、取り落とされての転げたままになっていたらしき、床の上の小鉢を視線で指し示し、
「シチさんから教わった通り、昨夜のうちにヌカで煮てアクを抜いて。今朝からは味付けしての煮付けてて。それをお味見してもらったその途端に…。」
 何とかそこまで語った彼だが、脂汗までかいている五郎兵衛の様子を見下ろして、小さな肩がぶるると震える。
「わ、わたしの作った煮付けがいけないんです。」
 いつも元気で頑丈で、風邪ひとつ引かないゴロさんですのに。それがこんな、一口食べてすぐ、唸ってソファーから転がり落ちて…っ。

 「ゴロさん、ゴロさんっ、しっかりして下さいっ!」

 どんなお詫びでもしますから、どうかお願い死なないでと口走りそうなほど、必死の形相になっている平八へ、

 「ヘイさんこそ落ち着きなさい。」

 七郎次が…思わずのこと、肩を落として吐息をつくと、そのまま間近へと屈み込む。この一大事に何を呑気なと。下手につつくと取り乱しかねないような、そうまでの思い詰めをも見せかけているお顔へ向けて、
「いいですか? よほどはっきりした毒でも飲ませぬ限り、食べていきなり腹が痛むなんてありえません。」
 傷んでいたならすぐにも吐き出すか、若しくは腸に至ってから調子が悪くなるもの。速効で中毒反応が起きるほどもの代物を、意識しないでのたまたまに、台所にある食材と調味料のみで調合出来よう筈がない。真っ青になって震え始めてさえいる平八に、あらためての“しっかりしなさい”と くっきりした声をかけ、
「ちょいと失礼。」
 苦悶のお顔で横たわったままの五郎兵衛の、がっつりと大きな肩に手を置き、身を丸めて庇うようにしている腹部へと、実に手際よく手を延べての…何カ所かを押して見せ。どこが痛むのかを確かめてから、

 「ゴロさん、あなた…虫垂炎を薬で散らしてやいませんか?」
 「…っ。」

 訊いたその途端に、心当たりがあったのだろう、あっと目を見開いた彼へ、さもありなんと少しは安堵。大人の虫垂炎をなめてはいけない、気づいたときには既に、周囲の臓器に癒着している場合があるからで。それでもまま、毒で倒れたとかいうような危険では無しと判っただけでもマシというもの。その辺りの理屈込みで、正しい現状がやっと届いたらしき平八も、少しは安堵をしたものか、
「…あ。」
 肩を落とすと、そのまま…膝立ちになっていたのが へたりと座り込む始末。そんな彼の背中をポンポンと叩いてやってから、
「そこまで落ち着くのはまだ早いですよ。」
「あっ。」
 さぞや苦しかろう病人を、このままにはしておけないというのは変わらない。再び身を起こし、周囲を見回してから、電話に向かわんと立ち上がる彼の背中へ、
「今日の当番医はどこでしたっけね。」
 こちらは、そこいらに新聞がないかと見回した七郎次であり、
「救急車を呼びます。」
「そうですね。せめて勘兵衛様がいれば車にかつぎ込めもしたのですが。」
 此処に居合わせた3人の若いのよりも、ぐんと体格がいいお人なだけに。痛むのだろう腹部へ響かせぬよう、余裕を持って運びあげるのは無理かと見切った、二人の大人たちの間にて、

 「…。」

 先程、バールで進入路を切り拓いて下さった次男坊が、ガラスの破片を足で左右へと避けつつ進み来ると、うんうんと唸っている大男を見下ろして。おふざけで軽々とかつぎ上げられ、眸を白黒させられたことがあったほど、元気なときなら頼もしいことこの上ない偉丈夫のお隣りさんが、こうまで弱っている図に彼なりに衝撃を受けているものだろか。
「久蔵殿?」
 少々堅いお顔なのへと案じたような声を掛けたおっ母様に、ちらり一瞬だけ顔をお上げて見せてのそれから。部屋の片隅、固定電話に辿り着き、プッシュホンへの入力をし始めた平八へ、
「台車…ストレッチャーつきの車はあるか?」
「はい?」
 肩越しに訊いた短い一言の、だが、答えは待たずに行動へと移っている彼であり。厚手のカーゴパンツの膝を床につくと、スムースジャージと木綿のパーカーという、軽快な姿の上背を折って倒し。若木のようなと称される、細身の腕を五郎兵衛殿へと延ばして見せる。

 “え?”

 いくら何でも体格に差があり過ぎで、引き起こすだけでも大儀だろうし、何より…ただ引っ張り起こすだけでは、五郎兵衛殿のほうにも負担がかからぬか。そうと感じての“おやめなさい”と、制止しかかった七郎次の眼前で。

  両の手の指をちょいちょいと、おまじないのように組み合わせ

 その手を…クレーンゲームのアームのように、幅のある相手の体の前と後ろから抱き締めるようにして回しての差し入れて、くっと…一息で立ち上がりながら引っ張り上げれば、あら不思議。

 「………え?」×@

 軽々と上がったのも驚きだったが、それ以上に。体の下へ板でも敷いてあったものかと思えたほどに、五郎兵衛殿の身も…萎えてのたわんで曲がることはなく、恐らくは負担も少なかろうまま、手を掛けた久蔵の膝より上まで一気に上がったから、これへは七郎次も平八もただただ唖然呆然とするばかり。そこへ、

 「平八、台車は?」
 「あ、ははは、はいっ!」

 冷然としたお声が掛けられ、小さなエンジニアさんがその場でピョコリと跳ね上がる。さっき久蔵が訊いたこと、頭の中で反芻し、
「そういえば…。」
 ちゃんとしたストレッチャーではないけれど、大人の腰までの高さのあるワゴンを装備したキッチンカーがあった筈だと、車庫のほうへと飛び出してゆく素早さこそは、一大事なんだからという機転優先に体が動くようになった現れ。それを見送りもしないまま、正に“持ち上げた”五郎兵衛殿を傍らのソファーの上へと寝かせ直した久蔵で。こうすれば多少は…その台車とやらへの移動も楽だろうし、
「…大丈夫ですか?」
 高さが生じた分、あらためて容体をと覗き込むのも容易くなった。そんな七郎次の肩へと手を置き、
「小早川先生に。」
 短く告げた次男坊へ、あっと表情を弾かれた母上だったのは、
「そうですね。救急車を悪く言うのではありませぬが。」
 これから搬入先を探してという段取りで救急病院へ運び込むより、知己の医師のところへ、強硬だが直接乗りつけた方が早いし確実ではないかと、そうと言っている彼だと判り。羽織っていた、こちらはカーディガンのポケットをまさぐると、携帯を引っ張り出した七郎次が島田家かかりつけの医者へと電話を掛ける。
「…あ、小早川先生ですか?
 島田です、いつもお世話になって…はい、七郎次です。」
 うららかないいお日和の朝ぼらけだったのが、一気に緊迫してしまった日曜日。それでも何とか、無事収拾という運びに至りそうであり、

 「久蔵さん、持って来ましたっ!」
 「…。(頷)」

 確かにストレッチャーではなさそうながら、大マグロでも解体するのかと思わせるほどの、大きく頑丈な台車を押して来た平八へ、うむと頷くと再び、五郎兵衛殿を抱え上げてしまわれた、柳のように細身でスリムな次男坊。場合が場合でなかったならば、どんな手妻か訊きたいし、どれほどの助けになったかと心からの拍手喝采を贈りたいほどの奇跡的な手際によって、急病に倒れたお隣りさんを早急に助けて差し上げた高校生は、良くできましたと言いたげな眼差しで、惚れ惚れと見やって下さるおっ母様の視線に気づくと、

  「〜〜〜。/////////

 当たり前のことをしたまでですと言いたいか。頬を赤くし、初めて含羞
(はにか)んで見せたのでありました。





  ◇  ◇  ◇



 「ほほお、それはまた大変だったのだな。」

 その後、五郎兵衛殿の容体が急変した訳でもなく。担ぎ込んだ個人病院での診察ののち、晩に切開手術をすることとなったため、平八もそのまま病院へお泊まりしての看取るということなので。ちょっと困った惨状のリビングにも、まま不自由を感じる住人は不在な訳でと、
『放っておいて下さっていいですよ?』
 平八はけろりとそんな言いようをしていたけれど、さすがにそうはいかないと。簡単に板を張るだけな格好の応急処置をしに、先に戻った七郎次と久蔵であったりし。そんな運びを、仕事中の彼へまでわざわざ知らせることでもなかろうと、勘兵衛へは帰宅してからのご報告と相なって。
「ゴロさんを乗せてった車というのがまた、荷台が変形してロボットになるんじゃないかってほど大きなコンテナ車でしてね。」
 イベント会場で何十人分ものフルコースの料理をこなせるくらいの、大規模のシステムキッチンがフル装備っていう代物で。その配膳台へマットレスを乗っけての病人を寝かしつけ、道幅に問題がないコースをカーナビで辿ってのやっと辿り着いた先にても、
「台車からストレッチャーへと移すのに、久蔵殿がご尽力下さいましてね。」
 何回見てもやっぱり不思議で、でも、

 『古武術の応用だ。』

 特に無理からの馬鹿力を振り絞った訳じゃあないと、こちらさんもまたけろりと言ってのけて下さったので、ああとやっとのこと、七郎次にも合点がいった。

 「そういえば、木曽のお館様は武術指南の大家でしたものね。」

 久蔵の祖父にあたるお人が先代だった島田の木曽支家は、代々の当主が様々な武術体術を身につけ、その総てを子に伝えて来たという、今時には少々古めかしい家風を継承し続けてもいる一族でもあって。早くに親御を亡くした久蔵は、そのまま父方の実家へ引き取られ、本来ならばせめて十代になってから始める修行の数々を、物心ついて間もないうちからその身へ叩き込まれていたと聞く。大人にも厳しい段階に入った折には、さすがについて来れぬかと思ったところが、どこまでも食い下がっての音を上げず、何をさせても上達するばかりだったのは正しく天賦の才というものか。それでよしとした大人たちはだが、小さな坊やが人としての大事なあれこれ、遊びや人付き合いというものを…お友達を作ることや他愛ないことへ笑うこと、怖くて口惜しくて涙することなどなどを、全く知らないままだということへ気づくのが遅れてしまい。それが戦国時代や、ずんと譲って大きな戦争の最中などならいざ知らず、平和で安泰な時勢の今時には、そっちこそが必要な資質を放ったらかしてしまったツケを負った、何とも風変わりな子供をば、世に出してしまうことと相成って。まま、そっちのアフターケアは、心優しい後見人が少しずつ正してやっております最中、さほどの問題もない…んじゃなかろうかということで、今は まま置いといて。

 「あの細腕でゴロさんをひょいっと担ぎ上げたのには、
  本当にビックリさせられましたもの。」

 久蔵自身は“古武術”という言い方をしたが、正式にはそんな名前の武道はない。様々な流派の古い体術があり、その内から合気道が生まれたり、色々な柔術や空手へ分かれたりしたのであって。最近では、非力な人でも大柄な人を担いだり起こしたり出来ることから、介護に応用出来るとあっての注目をされているとか。恐らくは、そのうちのどれかを嗜んでいた久蔵なのだろう。

 「折れ松葉とかいう手の形を作って、相手の体の重心へと差し入れ、
  重力を測ってのぐっと引けば簡単だなんて言ってましたが、
  アタシには何が何やらさっぱり判りませんで。」

 御主が着替えたスーツをクロゼットへ仕舞い、身にまとわれた部屋着のシャツの襟元なぞ直して差し上げて、そのまま二人してリビングへと向かう。もうすっかりと夜も更けており、功労賞ものの働きをした次男坊は、相変わらずに“朝型”なため、とっくに沈没してすやすやと夢の中という時間帯。今宵はちょっぴり冷えるのでと、それでも人肌程度の燗に留めた吟上酒、アジを軽く塩して炙った焼きものと、カブの甘酢なますとを添えてお出しして。昼間のてんやわんやもついでの肴に呈しての、春の宵をばお付き合い。七郎次にしてみれば、日頃は甘えん坊な次男坊が思わぬ活躍の数々をこなしたことが、驚きだった一方でちょっぴり誇らしかったりもしたのだろ。凄い凄いと、その終始 笑顔で語った彼であり、

 「…ただ。」

 ふっと初めて言葉を区切り、えとあのと何故だか言い淀むものだから。いかがしたかと小首を傾げ、深色の眼差しを向けて問われる勘兵衛様へ、

 「どうもあの、木曽のお館様は、
  術や型へと自分なりの呼び名をつけておいでだったらしくて。」
 「? それが?」

 表立った大会なぞへ出るのが目的の習練でなし、他の流派との交流がない以上、正式な名称にこだわっても詮無いこととの解釈があってのことだろと。
「使い勝手を優先しただけ、そのような勝手をしても特に問題はなかろうよ。」
 勘兵衛もまた異存はないというよなお顔になったものの、

 「ですから、あの…。
  あまり外で大声で口にしないほうがいいと言いますか。/////////
 「…何故そこで赤くなる。」

 ですから、あのあの。しどろもどろになりかかったのは、この彼もまた…大人ぶっていてもまだどこか、初心で純情なところが強い証か。

 “今時に閨房の四十八手の名称など、知らぬ者のほうが多いだろにな。”

 松葉崩しにひよどり越えに、二つ巴にうぐいすの谷渡り…と来て、お願いですから外では言わないようにと次男坊の口だけは封じたらしいものの。それを訊いただけで赤くなってしまいの、口にしてはいけませんと素早く制してしまえた七郎次だったということは…なんてな良からぬ想像に、ついつい口許がほころんでしまった勘兵衛様へ、

 「…何てお顔をなさってますか。///////

 さてはご存知だったのですねと、見とがめたからこそだろう、ますますのこと真っ赤になってのお酌をするものだから。却って御主の悪戯心に火を点けたらしくって。

  ―― ほほお、どのような顔をしておると?
      ですから…。
      言うてくれねば とんと判らぬが。
      〜〜〜。////////

 目許を細めての笑みを深めて、愉しそうに咲き笑うお顔がまた、いかにも屈託のない笑顔だったりし。せめてのこれが…下卑た笑いに染まっていての、粗野で品のない顔にでもなっておれば、僭越ながらも“みっともないですよ”と、おでこの一つも叩
(は)たけように。いかがしたかと問うお顔、そうでないどころか…ただただ精悍なままの男ぶりをのみ、湛えておいでだから始末に負えない。とはいえ、

  「〜〜〜知りませんっ。////////

 ここで七郎次がぷいっとそっぽを向いてしまえば、不思議と形勢は逆転し、すまぬすまぬと平謝りになる御主だったりし。春の嵐の風籟さえ、ええもう、やってなさいとしか言いようのないほどに、割って入っての太刀打ちかなわぬお二人で。甘い甘い夜更けのひととき、お二階の坊やを起こさぬ程度に、どうか和やかにお過ごしを…。






  〜Fine〜  08.4.19.


  *おかしいなぁ。
   久蔵殿が古武術の達人だったというのが、そもそものネタだったはずなのに。
   何でこういうシメになるのだろうか。
(う〜ん)


めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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